6日ぶりにバスと電車に乗って都心に出かけました。
6日前の3月11日金曜日の正午、インプラントの手術後の消毒を受けるために、池袋の歯医者の診察台に座っていました。
帰り道、いつもならデパ地下に寄って夕飯のおかずを買って帰るところですが、主人も私も週明け締め切りの原稿を何本か抱えていて、仕事場には12人のアシスタントさんが集まっていました。
そろそろ指示をしておいた仕事が無くなるかもしれない…と、どこにも寄らずに急いで帰って来たのです。その直後の地震でした。
揺れがどんどんひどくなり、テレビやパソコンのモニタが倒れ、開いた机の引き出しの中に飲み物がこぼれ、本棚から本が落下しました。
「ちょっと、これ大きいよ! 外に出よう!」
それがM9.0の「東北地方太平洋沖地震」だったのです。
あれから6日…。
毎日のように揺れを感じながら原稿を進め、地震が起きる前に亡くなった知人の通夜に出かけ、交通規制で家に帰れなくなった遠方のアシスタントさんを泊めて世話をし、原稿が上がってから主人の病院に付き添い、いつ停電になるかわからないパソコンに向かって作った帳簿を税理士さんに渡しました。
昨日の午後やっと締め切りや雑用から開放され、10年前から準備しておいた非常袋の中を開けてみると「非常食」の賞味期限が切れていたので、近所の店に出かけたところ…。
「非常食」どころか、パンや米・カップ麺を始め、乾電池・携帯カイロ・紙おむつ・乳製品・お菓子・小麦粉まで、並んでいた棚が全て空っぽになっていました。
毎日のように続く余震や他の震源地での新たな地震に不安を感じた消費者が、被災地で不足している物を次々と買い占めてしまったのでしょう。
もし「その時」がきても、自分だけ食べるわけにはいきませんし、ひとりで暖かい思いをするわけにもいきません…。
賞味期限が切れた非常食を取り出して、トイレットペーパーをひとつ入れました。これなら他の人と分け合うことが出来ます。
携帯電話が使えなくなった時のことも考えて、テレホンカードと家族や知人の電話番号を書いた手帳も入れておきました。
物資不足や節電への協力で不自由な毎日が続いていますが、私たち以上に厳しい思いをしている被災者の方々が、一日も早く普通の生活に戻れるよう、祈らずにはいられません。