今日は朝早くから税理士さんと会い、遅い昼食を済ませてから娘と孫息子と一緒に、それぞれの父へのプレゼントを買いに吉祥寺に出かけました。
「吉祥寺」…と言えば、先日レンタルして見た映画の「グーグーだって猫である」の舞台が吉祥寺で、いつも見慣れている店先や通りがたくさん出てきました。
主人公は吉祥寺に住み、かつて売れっ子の漫画家でしたが、今は1年に1本か2本入る程度の仕事をこなしています。
久しぶりに入った仕事の締め切りに追われ、原稿が上がった直後、長年連れ添った自分の飼い猫が、ソファで静かに死んでいるのに気づきます。
猫は人間の3倍のスピードで老いているのです。
人間にとってはほんの十数年でも、猫にとっては自分の生涯を全うする年月です。
結婚することも子供を産むことも無く、いつの間にか主人公も40歳を過ぎていましたが、それ以上に老いていた猫に気づかなかった自分を責めます。
大切な同居人を失い、いつも向き合えなかったことを悔い、新しい猫を飼うことにします。亡くなった猫の分まで愛情を注いであげよう…と思った矢先、主人公は生死を分ける病気にかかります。
入院した病院の看護師が「私、先生の漫画のファンなんです」とはしゃぎます。
「少女時代の悩んでいたあの時期、先生の漫画を読んですごく元気づけられました!」
その瞬間、主人公は真剣な顔で言うのです。
「私の漫画は…それほど私を助けてくれませんでした…」
「え…?」
飼っていた猫の「老い」に気づかなかったのと同じように、自分の手元を離れた作品が人の人生に与える影響力にも気づかなかった…と主人公は言いたかったのでしょうか?
いいえ…。
漫画家は自分の身を削りながら、仕事の締め切りと生活に追われ、いつも孤独な自分と戦っています。たとえ病気になろうと「締め切り」というプレッシャーに追われようと、最後に乗り切るのは「自分自身」の力です…。
可愛い猫の表情や行動に、つい目を細めて見てしまいますが、自分の姿を重ね合わせると、思わず胸が詰まってしまう映画でした…。